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私たちは色々な事を先輩や師から教えて頂きます。
教えて頂いたものをどう受け取るかは自分自身なのです。
よって、同じことを教えて頂いても、受け取る人によって解釈が違ってくると思います。
そんな中で、本質的なものは変わらないと思います。
その本質的なものとは、数学でいう所の公式のようなものだと思います。
公式は万国共通だし、それを知っておけば誰が好きな数字を入れても同じ答えが出ます。
今、ふと公式って抽象なのかなと思いました。
師の教えは不変です。
その不変なものを受け取った側が、自分の血肉として自分の人生に活かしていくのです。
その活かし方は人其々です。
師の意図するところをそのまま受け取るのか、自分なりの解釈をするのか。
本質的な部分はどう受け取ろうと変わりはないと思います。
そしてそれを自分の中でどう根付かせて、どう血肉としていくか。
最近、学ぶという事はかなり深いものであると思いはじめました。
自分が浅はかな時は何でも学んだつもりになっています。
しかし、もう少し学んでいくと、自分は何も知らなかったと思うようになります。
そして、自分は何も知らなかったとわかった時点から、本当の学びに入って行くのだと思います。
師の価値がわからない時は表面だけで捉え、
以前はああ言っていたのに、今回はこう言っていると、表面の現象だけで論じてしまいます。
しかし、本質的な事を語る時、角度を変えて話せば以前と違った見方になります。
その違った見方が多面的な見方であり、より本質に近付くための見方でもあるのです。
本質的な見方、ものの考え方は「抽象」と「具体」を往ったり来たりします。
それを「具体」にばかり囚われてしまうと本来の目的を忘れてしまい、
自分が今、何をやっているのかわからなくなってしまいます。
そして、自分がわからなくなっていると言うことすら、わからないのです。
教えの価値に気付き、その教えを日常の中で活かせない時は、まだ知識にしか過ぎません。
それを日常の生活の中で活かせるようになって初めて、自分が成長するものだと思います。
師の教えを引き継ぐという事は、教えの中の本質を引き継ぎ、
自分もまた人に手渡していくことだと思います。
師の教えの価値に気付き、それを真摯に受け取り、自分のものにしていくという事は、
魂の手渡しが出来る人だと思います。
師の教えの価値に気付かず、途中から批判して自分のものに出来ず、
ただそこでヒステリックに叫ぶのは、目的を忘れた活動だと思います。
教えて頂いたものをどう受け取るかは自分自身なのです。
なるべくなら師の教えを引き継いでいきたいものです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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