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私たちはスマホを持ち始めてから、何にでも直ぐ反応をしなければと思うようになりました。
しかし、その中には反応しなくても良いものも沢山入っていると思います。
心は反応することがそもそもの性質のようなので、反応しないことに恐れを感じます。
何にでも反応し続けることが一番楽で、やめられないのです。
それを仏教では「執着」と呼ぶようです。
「心の渇き」がある以上、いくら反応しても心が満たされることはありません。
なぜならそこには「承認欲求」や「所有欲求」があるからです。
人々にとって「一番ムダな刺激は、心にとって不快な刺激」だそうです。
その心のもやもやの正体が実は自分が作りだしている「妄想」なのです。
その妄想は、自分が作りだした「自分や他人の価値をあれこれと判断する心」で、
元々人間の心に潜んでいる「承認欲」という、あまり意味のない反応なのです。
大切なのは自分の心の状態を見るという事です。
自分の心の反応が「感覚」なのか「感情」なのか「思考」なのか。
そしてもう1つが「欲」なのか「怒り」なのか「妄想」なのか。
これらを冷静に見て分けることが「自分を見つめる」心がけだと思います。
1日の時間をどれだけ心地よく過ごせることができるのか。
どうせなら、楽しさや充実感に比重を置きたいと思います。
「感覚に意識を向ける」ことは、負の感情や思考に効くようです。
「思考」というものは必要な事を思い出したり、判断したりと有益な反応だけでなく、
心を不快にする「妄想」も起こります。
そうした時は「妄想」ではなく「感覚」の方にシフトします。
自分の心の状態を「これは感覚」「これは妄想」「これは怒り」と、
1つ1つチェックして自己理解の経験値を積み重ねることが、
ムダな反応に囚われなくなるようです。
考えてみれば、1年を通しても1カ月を通しても、ムダな反応は沢山あります。
これらの反応に囚われることなく、集中すべきことに集中出来れば、
自分の生活や人生の質を上げることができるのではないかと思います。
じゃ、また明日!