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最近、自分の内側が外側(相手)に投影し、それがまた自分に戻ってくるのを感じます。
例えば誰かに苛立ちを感じたり、少し腹立たしく思ったり。
その苛立ちを感じる部分というのは、
よく考えると、自分が自分自身へのいら立ちを感じる部分と同じ時があります。
結局それって、自分の内面が外の世界に反映されているのだと思います。
現実はいつも自分の内側の状況を教えてくれているのです。
他人が自分の事を大切に扱ってくれていないと感じる時は、
自分が自分を大切に扱っていない時だと思います。
自分が自分を大切に扱っていないから、他人からもそう扱われるのかも知れません。
自分の願いが叶わない時は、自分の内側が満たされていないのかも知れません。
自分の意識が外側に向いている時は、自分の内なる声が聞こえていない時です。
自分の内側に意識が向いていない時です。
もしかしたら、自分の不安に気付きたくないから、外に目を向けているのかも知れません。
その時は自分自身がまだ満たされていないのです。
自分が自分を心底好きになれていないから、その分外に愛情を求めている可能性もあります。
よって、外の人に依存したり執着したりしてしまうのです。
自分自身に十分目が行くと、他人は気にならなくなります。
気にならなくなった分、目の前の現実の見方が変わってきます。
これだけ相手を信じてやっていたのにと、思った通りに行かない時は相手を恨んだりもします。
しかし、自分自身に集中すると、相手がどうしようが相手は自分の世界に入ってきません。
よく言われるのが、目の前の世界は自分が作り出している世界で、自分だけが見ている世界だと。
そうなると、同じ現実でも一人1人見え方が違い、
それにより自分の在り方も変わって来るのではないかと思います。
自分の内側には何重も扉があります。
1枚とは限りません。
1枚扉を開けても、まだその奥には扉があるかも知れません。
開けたが故に、また違う感情が浮かび上がってくるかも知れません。
そうして、見たくない自分をそのまま受け入れ乍ら見ていくと、
自分の源に繋がる可能性があると思います。
外側の現実世界が自分を映し出す鏡だとすれば、
その鏡を見ながら自分を知っていくことになると思います。
二度と味わいたくない嫌な思い出や体験も、
映画のスクリーンを見ているようにそういう場面もあったなと、観察して感じ続ければ、
また、その奥から違った感覚が出てくる可能性があります。
生まれた時の愛に包まれた感覚。
忘れてしまった、その感覚。
その感覚にまでたどり着ければ、外の世界に依存しなくなるのではないかと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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