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「毒親」と言われて久しいですが、それに絡む事件も多々あります。
以前はそういう親に対して子どもが反発し、親を殺したりしました。
今はその怒りが、親ではなく「誰でも良かった」になってきています。
それで犠牲になった人は、たまったもんじゃありません。
そこの本当の気持ちは何なんでしょうか。
親の愛情が必要な小さい時から、叩かれたり罵声を浴びられたりと、
虐待を受ける子どもは少なくありません。
虐待をする親は、自分より力の弱い子供に自分の怒りをぶつけています。
本当は虐待する親はその自分の親に対して怒りをぶつけるべきなのです。
しかしそれが出来ないから、自分の子どもに怒りをぶつけてしまうのです。
最近は虐待を受けた子どもは小さいので、亡くなってしまうケースがほとんどです。
小学校に通い始めた頃の子どもは、記憶にしっかりと残っているので、
親を殺そうと思ってしまいます。
その子供の怒りは「なぜ僕を愛してくれなかったの?」であったり、
「なぜもっと大切にしてくれなかったの?」であるのです。
子どもというのは、どんな親でも本当は大好きなのです。
よって、虐待をするような親であってさえも、自分を愛して欲しいのです。
「なぜ愛してくれなかったのか?」という憎しみが、
自分の「悲しみ」という本音であったようです。
その悲しみに蓋をして、憎しみばかりを充満させると、親を殺してしまうという事になるのです。
世の中には毒親に育てられたから自分は結婚しない。とか、子どもは作らない。とかの
悩みを持って、今でも自分の本当の悲しみと戦っている人がいます。
しかし、
「毒親だったから自分の人生は終わった」のではなく、
自分の親はそうであっても「自分はしあわせな人生を送れる」のです。
その悲しみ、苦しみがわかるから「人は変われる」と、
子どもが一番必要な「愛すること」を説いている人もいます。
自分の人生は自分が決めるものです。人や親が決めるものではありません。
「だから 自分を生きる」必要があるのです。
どんな親でも子どもは親が大好きなのです。
親から愛して欲しいのです。
親から大切にして欲しいのです。
じゃ、また明日!
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