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今我々は情報社会の中に埋もれています。
また、ネット社会の危険性とも背中合わせです。
それは誰でもが簡単に情報を発信できるからです。
誰でもが出来るという事は、良い情報もあれば嘘の情報もあります。
嘘の情報を意図的に拡散されれば、
それが本当のようになってしまうから恐ろしいのです。
また嘘の情報を信じて、その嘘の上に根拠もないのに乗っかる嘘も出てきます。
それが人の命を奪う事もあるのです。
しかし、間接的なので自分が命を奪っているという自覚など、さらさらないのです。
自分が自分の手に持った刃物で人を刺せば、自分が殺したという自覚はあるでしょうが、
ネットで嘘という武器で相手を攻撃しても、
自分が結果的に相手を殺したことになる自覚はありません。
よって、自分で何が真実かという事を見極めるのは、非常に大切な事だと思います。
私たちは嘘であろうと真実であろうと、自分が信じた情報によって行動をしてしまいます。
ここ数年はコロナ情報です。
ワクチンの是非。マスクの効用。
これらもテレビの情報とネットの情報では全然違います。
自分が何を信じるかによって、自分の人生が変わってしまったり、
ともすれば自分の命さえ左右されます。
そして嘘の情報は自分にとって残念な結果になり、
真実の情報は自分にとって幸せな結果になります。
2つの情報の内どちらを信じるかによって、自分の行動が決定してしまうのです。
今でもそうですが、私は非常に字が下手でどの学年の時も先生に「もっと丁寧に書きなさい」
と言われていました。
小学校6年生の時に私1人だけ、夏休みの宿題に百字帳の宿題を出されました。
先生は、中学生になって恥を掻かないようにと思っての宿題だったと思います。
4年生の時、習字の時間に担任の先生がお休みで校長先生が教えてくれました。
いつも担任の先生には「字がはみ出ている!」と注意されていたのですが、
校長先生は「勢いのある力強い字を書くね!」と、褒めてくれました。
図工の時間で絵を描くと、担任の先生は「訳の分からん絵を描く」と、
いつも言っていたのですが、図工の先生は「創造力豊かな絵を描く」と褒めてくれました。
習字も絵も同じものなのに、先生によって評価が違ったのです。
よって「自分はどちらの先生の言われた事を信じた方が、自分は幸せなのか」
という事です。
「真実は1つ 解釈は無数」
これはいつの時代も、何事においても「本質」だと思います。
情報が溢れる中、自分はどの情報を信じるのか。
自分の人生の幸せは、自分で選択して信じて生きたいと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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