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9月1日付の地元紙に25年前の集団暴行死事件の母親が、学校や刑務所で命の大切さや
遺族の思いを伝える講演を重ね、多くの犯罪被害者や遺族を支援してきた記事がありました。
よって、過去の記事を検索してみました。
1997年兵庫県加古郡稲美町で中学時代の同級生を含む10人(当時14~16歳)が、
15歳の聡至さんを意識不明の重体になるまで集団暴行を加えた。
少年たちは「付き合いが悪くなった」などと因縁をつけて、鉄パイプや角材で執拗に殴り、
動けなくなった聡至さんをバイクでひき、火の付いたタバコを両耳に入れるなどの暴行を
1時間以上続け、その後自宅に帰ったり、カラオケに遊びに行ったりした。
聡至さんの顔はパンパンに黒く腫れ上がり、全身傷だらけで9日後に帰らぬ人となった。
加害者の10人は間もなく傷害容疑で逮捕されて傷害致死容疑で送検され、2人は初等少年院、
8人は中等少年院で1年4カ月から8カ月の保護処分が決定した。
母親は集団暴行で殺されたのに「明確な殺意が立証できない」と判断され傷害致死になった。
刑期も高々1年半程度で、すぐに一般社会に戻ってくる。
殺された息子に命はこんなに軽いのか」と、悔しがっていました。
聡至さんは農業が好きで農家を継ごうとしていました。
しかし、中学1年生の3学期頃から不良グループと付き合うようになり、
中学2年生では学校に行かなくなり、バイクの無免許運転で補導された事もあった。
中学3年生になると徐々に更生していき、学校はサボっても塾は休まず通っていた。
将来はブドウや果物を育てたいという目標もあり、親は更生してくれると信じていた。
中学3年生のクリスマスを境に不良グループとも縁を切り、自宅から離れた県立高校に入学して
寮生活を始めた。
母親は「殺されるために一生懸命更生させたわけじゃない」と悔しさをにじませた。
事件の供述書によると、加害少年らは「途中で止めたり、救急車を呼んだりしたら
自分もやられるんじゃないか」「自分だけ止めると弱虫扱いされる」という理由で
聡至さんに暴行を加え続けたのだという。
出所後の少年の内3人は集団暴行で再び送検される事件を起こしている。
主犯格だった少年は成人後、地元の後輩に「被害者に賠償金を払うから30万円をよこせ」とからみ
恐喝で逮捕された。
裁判では「被害者家族に損害賠償請求され、そのお金が必要で脅し取った」と平然と話したが、
賠償金を全額支払った加害少年の家族はいないという。
母親は「具体的な犯罪被害者の話を少年たちに聞かせることで、心から反省して欲しいと
思ったから講演を引き受けている」
そして「私は根本のところで、加害少年たちの事を『加害者であり、同時に聡至の友達だった』
と考えている」
「勿論、現実の加害少年に対しては、復習して殺してやりたい、聡至を返して欲しいという
思いは今もあります。一生消えないでしょう。当時の加害少年が子どもを連れて歩いているのを
見かけると『お父さんは私の息子を殺したんやで』と言ってやりたい衝動にも駆られる。
ただ、そういう感情とは別に『非行少年だった聡至も更生出来たんだから、自分や社会の力で
一人でも多くの少年を更生させることが出来れば、二度と私のような思いをする人を出さないですむ』
という思いもある。
2019.06.26 ジャーナリスト松岡久蔵氏の文章より割愛
じゃ、また明日!