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自然の力は人を本来の人間に戻してくれると思います。
我々は、地球の恩恵を受けて生きている事を忘れてしまっていると思います。
原始時代は、地球の自然の恵みによって生きていました。
文明が発達してお金というものが出来てから、自然の恩恵を忘れ、
本来、地球が主人公であったはずなのに、
人間が錯覚を起こして自分が主人公だと思っています。
お金は生活していく上でのただの手段です。
目的ではありません。
目的は自然の恩恵を受けながら、自然と共存して如何に人々が喜びを感じ乍ら
人生を送るかだと思います。
心が傷ついた時、心が病んだ時など自然が大きく包んでくれます。
なぜか?
自然は生きる原点を思い出させてくれるからです。
自然は見返りを求めないからです。
自然はいつでもそこで待っていてくれるからです。
人間はそこをいつも慌ただしく通り過ぎるだけです。
慌ただしく通り過ぎている時の人間の目は外に向いています。
他人に向いている間は、自分には向けられないのです。
本当に自分の事を知ろうと思えば、その目は他人ではなく内なる自分に向くべきです。
内なる自分と対自した時、初めて本当の自分に気付くと思います。
つい先日天狗下駄(一本歯の下駄)を買いました。
バランス感覚が養えるかなと思って。
ハイヒールを履いたこともない私が8cmの高さの天狗下駄です。
先ず、履いて立てるかどうか。
兎に角絶対に足をくじかないように、こけて骨折しないように恐る恐るでした。
しかし、履いた途端スッと立てました。
あれ?と思いながら歩いてみました。
なんとスッと歩けたのには自分でもびっくりしました。
むしろじっとしているよりも歩く方が楽なのです。
瞑想では、脳と心と身体が整うのを意識しています。
頭の先から心を通って足の先まで一本線で貫くことが出来るかどうか。
この、脳と心と身体が整う環境が、自然環境だと思います。
空の雲や、川の水・滝の流れなど自然の世界は自分の心を開放してくれます。
創造をかき立ててくれます。
そこはイジメや虐待などと反対の世界です。
人間としての自分を取り戻すには、やはり自然が一番だと思います。
自然を前に人間のちっぽけさを感じたら、少しは自分の心が整うかも知れません。
じゃ、また明日!