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勉強は学校に行っている期間、つまり学生という立場の時にするものだと思っていました。
自分が学生の身分の時は。
しかし、社会に出てからの方が勉強の必要性を感じました。
なぜなら「自分は何もわかっていなかった」という事がわかったからです。
学生の時の勉強は、言われるからやっていた受け身の勉強でした。
社会に出てからは必要に迫られた、自分がやりたいと思う勉強でした。
そして、かなり年月が経った今、自分は何も知らないでぼーっと生きて来たなと思います。
ものごとの本質というものをわからず、マスコミの情報を鵜呑みにし、
出来事を自分で考えていないという事を、今更ながら感じ始めました。
子どもが小さい頃の勉強は親が主導権を握っています。
最初の本は、親が子どもに読ませたい本を買ってあげます。
小学校の高学年にもなると、自分で選びますが、小学校1年生くらいだと、
まだ親の選択も入っていると思います。
子供が先ず見て真似るのは、親や周りの大人です。
真っ白いカンバスに先ず絵具を落とすのは親であり大人です。
親がブルー系の絵具が好きなら、子どももその続きはブルー系の絵具を使います。
親がオレンジ系の色が好きなら、子どももその続きはオレンジ系の絵具を使います。
なぜなら、子どもは親が好きだから、親の好きな系統の色を好きになって行くのです。
大きくなって、反発しだすと違う色に塗り替えるかも知れませんが、
最初の刷り込みは最初の色です。
私には子供はいませんが、仕事で学生と接していた時、まったく何も知らずに、
偉そうにアドバイスをしていたなと、今更ながら思います。
言葉1つ取ってみても、その意味・意味合いをわからずに使っていたと思います。
今、18歳の子どもがいて「どこの党に入れたらいいかわからないから、教えて!」
と聞かれても、恥ずかしながら答えることは出来ません。
政治は別世界のものではなく、自分達の生活に直結するものです。
その直結を子どもたちに説明できるかと聞かれれば「ごめんなさい。説明できません」
というしかありません。
本当に何も知らずに生きて来れたと思います。
何も知らずに、このまま日本はどうなっていくのか。
そのツケは子どもたちに行きます。
相田みつをさんの詩に
「一生勉強 一生青春」
というのがあります。
本当にそうだなとつくづく思います。
それが楽しく生きるという事に繋がるのだと思います。
じゃ、また明日!