私は歳を重ねていますが、寺子屋で学んだ覚えはありません。
寺子屋は、よく言われる「読み、書き、算盤」を教えていました。
庶民の日常に必要な実用的な学習です。
室町時代後期に師弟教育から始まり、最も盛んにおこなわれたのが江戸時代です。
私が驚いたのは、将来職に就く際に必要な知識や、生きて行くために必要な教育は、
本来家庭でおこなわれていたとか。
という事は、子ども達は各家庭の価値観を学び、
「みんな違って、みんないい」状態だったと思います。
それが、仕事が忙しくなって十分な教育を行えなくなった親が、
子どもの教育を外部委託する形で寺子屋が広まって行ったのです。
その結果、農村部にも寺子屋が増え、寛永年間の就学率は70%以上だったとか。
寺子屋は義務教育ではありませんし、子ども達の年代はさまざまです。
身分を問わず、広く庶民の教育に貢献し、生きるために必要な実用的な内容を教えました。
よって、個別教育です。
親の職業や本人の希望を元にした個別のカリキュラムを師匠が組みました。
農民の子どもには「百姓往来」、商人の子どもには「商人往来」、
職人の子どもには「番匠往来」など、それぞれに合わせた教科書が用意されていました。
「個別のカリキュラム」というのは、スエーデンの教育と同じだと思います。
スエーデンでは、クラス一人1人が自分で自分のカリキュラムを作ります。
授業は自分のやりたい勉強をし、先生は質問を受けた時にヒントを与えたり、
一緒に考えたりします。
教師は先生だけではありません。
クラスメートに教えて貰ったり、自分の得意分野は自分が教えてあげる。
それによって、子ども達は主体的に学ぶ姿勢が養われ、対話的な学びを身に付けていきます。
寺子屋も同じような状態だったのではないかと思います。
今の教育はというより、戦後の教育は画一的で皆が同じ答えを出すことが求められます。
個性ある答えは排除されます。
日本の子どもたちは、皆と同じでないと不安になります。
しかし外国の子どもたちは「みんなちがって 当たり前」なのです。
日本の子どもたちは大きくなって忖度は出来るようになると思います。
しかし、自分の考え、意見を人に説明するのは苦手だと思います。
これからの日本の教育を考える時、「寺子屋」の本質を学ぶ必要があると思います。
じゃ、また明日!