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無所属の時間とは、今この瞬間の目の前の現実の時間と解釈しています。
誰にも属さない、何処にも属さない、目の前の自分の時間。
よって、目の前の事を受け入れるしかないのです。
そしてどうせ受け入れるなら、今楽しければ思いっきり楽しみ、明日心配事があっても、
それは明日の心配にすればよいのではないでしょうか。
私はどちらかというと、いつも先の心配ばかりをするタイプです。
その心配が本当に来るかどうかはわからないのに、予測として心配してしまいます。
もしかしたら、これも角度を変えて観てみれば良いのかも知れません。
最近「予祝」という言葉をあちこちで目にするようになりました。
同じ「予」という、あらかじめ将来の事態に先立って、ある物事を行うさまをいうのなら、
あらかじめ心配するより、あらかじめ楽しい祝い事をした方が、
よっぽど人生が楽しくなると思います。
先の心配をする人は、心配のエリアに属して今を生きています。
よって、楽しい時間のはずなのに、その瞬間の楽しさを味わうことなく、
心配事に気が引っ張られて、面白くなくなるのです。
そうではなく、あれこれと心配な想像をめぐらす余裕があるなら、
「直ぐにやれる、楽しいこと」を想像し、やってみる方向に時間を使った方が楽しいです。
今を楽しむことで、生きていることを実感できるのではないかと思います。
まだ起こりもしない事に時間を奪われるより、今現実に目の前にあることと向き合う。
過去に囚われず未来に怯えず今を生きる。
これに尽きると思います。
自分が見る世界は自分の認識によって作られます。
過去に囚われた認識もあるし、未来に怯える認識もあります。
自分の意識を広げて、今ある世界を精一杯生き抜くことが
「自分を生きる」ことになるのだと思います。
勤務先にも、家族にも、どこにも属さない自分だけの時間。
そういう時間を大切に、悔いの残らない人生を生き抜きたいものです。
じゃ、また明日!