タグ:
「あるががままを受け入れる」というのは、なかなか難しいことです。
なぜなら受け入れたら、それを認めてしまうと思うからです。
受け入れることと、認めることは違います。
そこが自分の中で上手く処理できないのです。
あるがままに受け入れるということは、目の前にあることを一旦受け止めるということで、
そのことが良いとか悪いとかジャッジすることでは無いのです。
それを直ぐに良いとか悪いとか自分の中でジャッジしてしまい、結局はそのジャッジで
自分が苦しむことになるのです。
あるがままの世界には善も悪もなく、それは自分が決めているだけのことなのです。
その上で、自分は何をすべきかを考える。
出掛ける時に雨が降り出しました。
雨が降って来たということは事実なので、「雨が降って来た」ことは認めざるを得ません。
しかし、「なんで今頃雨が降ってくるの?」「天気予報では晴れると言っていたのに!」
は、自分が考えることです。
「雨が降って来た」よって、私のすべきことは「傘を持って出よう」ただそれだけなのです。
その事実を受け入れることが出来れば「天気予報では晴れると言っていたのに」
という恨みつらみは、消えてしまうのです。
禅仏教では、風にはためいている幡(はた)を見て、
ある僧は「あれは幡が動いているのだ」と言い、
もう1人の僧は「あれは風が動いているのだ」と言った。
それを見ていた六祖慧能は「お前たちの心が動いているのだ」と言ったとか。
真実は見たまま、あるがままでそこには論争すべき問題はない。という事です。
目の前の事をどのように受け取るかは自分自身であり、
事実は変えられないけれど、見方を変えることは誰でも出来ます。
しかし、頭ではわかっていても、そこに自分の感情や執着や煩悩が入るから、
あるがままを受け容れることが出来ないのです。
人生は思い通りにはならないし、全ては移り変わりゆくものだし、
繋がりの中で変化しているものだと腑に落とすには、
まだまだ修行が足りないです。
じゃ、また明日!