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自分の目的地、着地点はどこなのか。それを決めなければ、目的地に向かって歩けない。
そう思って、目的地を探していました。
人生はよく登山に例えられます。
富士山のてっぺんまで行くのが目的である、と。
そうなれば、自分が富士山の頂上に立たなければ、目的を果たした事にはなりません。
アドラーは目的地は存在しないと言っています。
最初は「えーっ!」と思いましたが、次第に納得がいきました。
「目的地に到達する人生」か「到達しようとする道半ばの過程そのものを、結果とみなす人生」か。
登山の目的が「登頂すること」にあるのか「登山そのもの」にあるのか。
登頂することが目的なら、山頂に辿り着けなければ、失敗ということになります。
登山そのものが目的であるなら、結果として山頂に辿り着くかどうかは関係なく、
「いま、ここ」を登り続けていることが目的となります。
つまり「いまなしつつある」ことが、そのまま「なしてしまった」ことになるのです。
「過程そのものを、結果とみなすような動き」
登頂そのものが目的であるなら、ヘリコプターで山頂に向かい、5分ほど滞在して再びヘリコプターで帰って来ても、登頂は成功です。
しかし、登山そのものが目的であるなら、麓から登山に向かう道中も「全ての瞬間」が登山であるはずです。
そうなると、過去にどんなことがあったかとか、未来がどうであるとか、山頂に立てているのかどうかなど、
「いま、ここ」で考える問題ではなく「いま、ここ」の一瞬一瞬を真剣に生きる事が人生である、と。
ライフスタイルが「いま、ここ」であるなら、自らの意志で変えて行く事が出来るし、これから先の人生は白紙の状態であり、進むべきレールが敷かれている訳でもないので、自分の人生は自分で変えていけるということです。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。
永遠の「いま、ここ」は、自分の人生そのものであると、思った次第です。
じゃ、また。