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私たちは、自分が成長するとか、新しく生まれ変わるとかと言った場合、
何か大きくならなければならないと思ったりもします。
しかし、本当の成長とは、小さな日常の中に大きな幸せを感じられるようになること。
だと、ひすいこたろうさんは言われています。
明治の頃の日本人は、幸せを生きていました。
未来に夢を描き、上を向いて前に前にと進んでいました。
物質面から言うと今の方が生活が楽です。
にも拘わらず、かつての日本人は貧しい中でも人生を楽しんでいました。
なぜなら、日常を丁寧に暮らし、その中の小さな幸せに大きな喜びを見出す
感性があったからです。
文明が発達し、生活が楽になって行くに従って、その感性は鈍くなってしまいました。
よって、相手のことを想う感性も昔ほどではなくなっています。
それは表面的に流れて生きているのではないかとも思います。
何気ない言葉であったり、何気ない仕草・行動に幸せを感じることがあります。
相手が自分の事を大切に思ってくれているのだ。
相手はこうしようとしてくれていたのだ。
それを感じることが幸せに通じると思います。
それらが感じなくなると、
いくら相手がサインを送っていてもキャッチすることが出来ず、
殺伐とした人間関係しか結ばれないのです。
喜びを感じる感性が失われて行ったのです。
「世はスピード時代」とか言われ、何でも早いことに価値が置かれました。
ゆっくり味わっていると、効率が悪いと非難されます。
しかし、喜びはそのゆっくり味わうスピードの中で感じることが出来るのだと思います。
日常を丁寧に暮らすという事は、1つ1つの小さなことにも「ありがとうございます」
「感謝します」「お陰です」という気持ちが込められていました。
現在は十羽ひとからげに「ありがとうございます」になってしまっています。
1つ1つの小さなことにまで心が行き渡っていません。
その差が感性を鈍くしているのではないかと思います。
例えば「お顔を拝見できただけでも良かったです」と言う言葉の中には、
そのお顔から相手の健康状態、精神状態がわかり、安心しました。
というメッセージが含まれていると思います。
そんな小さな日常会話からでも、大きな幸せを感じることができると思います。
小さな日常に大きな幸せを感じる人間に成りたいです。
じゃ、また明日!