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私は「人は話し合う気持ちがあれば、たとえ喧嘩をしてもわかり合える」と思っていました。
しかし、脳科学者の茂木健一郎氏は「他人とわかり合える」という思い込みはやめた方がいい。
とのことでした。
なぜなら「私は私、他人は他人」と思っていても、他者は必ずどこかで介入し、
本人が望まずとも、その人の思考や人生に何かしらの影響を及ぼすものだから。
確かに、先ず自己を知ろうと自分と向き合っても、自分の価値観を考えた時には、
他者の存在が出てくるのです。
或いは、自己を知るには他者の存在を抜きにして考えることは出来ないのです。
しかしながら「話せばわかる」という思い込みは、「わかり合う」という執着が、
返って足を引っ張る場合があります。
返ってそこに囚われてしまうのです。
脳には「他者に共感する」機能が備わっているとか。
そうであるならば、たとえわかり合えなくても相手を理解しようとしたり、
共感しようという心が働いて、相手を認めることが出来ると思います。
相手を認めると言うことは「相手がどう感じているか」と思いやることだと思います。
相手の感情や言動から、相手がどう思っているか読み取ろうとすることは出来ると思います。
以前は「相手とわかり合える」と思っていたから、お互いの価値観をすり合わせて、
同じ容器に入れようとしていました。
しかし、同じ容器に入れたとしても、容器の中では別々に固まっています。
そうではなく、反対に「他人と自分は違うものなのだ」と認めてしまえば、
人間関係がかなり楽になってきました。
「あなたと私は価値観が違います」
しかし「私はあなたを否定しません」
よって「自分とは違う価値観である。と、受け止めることが出来ます」
以前は違うものを無理にでも同じにしようとしていました。
しかし、今は違うものは違うものでも良いと思うようになってきました。
答えは1つではなく、多様で十人十色なのです。
それが解ってからの人間関係は楽で、以前のようにイライラしなくなりました。
共感できる範囲は共感して、共感できない範囲は自分とは違うと認める。
それでいいのではないかと思い始めました。
今は、違う価値観の人も受け入れられるようになり、同じにするということよりも、
お互いが自分の目的に向かって進む方が、大切ではないかと思っています。
「人はわかり合えるものだ」と思い込んでいた自分は、少し窮屈だったかも知れません。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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