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「令和」の幕開けがまだ尾を引いています。
大晦日から新年へのお祝いさながら、新元号の祝賀ムード一色です。
「ワクワクする」「何か新しい時代になれば」「平和な時代が続けば」と希望溢れる言葉が聞こえます。
さて「令和」という新しい時代は自分にとってはどうなのか。
戦争を知らずに生れた私ですが、本やテレビ、映画などで戦争のことを見聞きした時「どうして親の世代は、赤紙1枚で戦争に行ってしまったのか」と思ったものでした。
その時代は決して「NO!」とは言えず、従わざるを得ない時代だったとは思います。
しかし、その後片付けがいまだに尾を引いています。
時代そのものが「受け身」の時代だったと思います。
1946年(昭和21年)5月3日施行の日本国憲法では「主権は国民にある」となっています。
この時点から、国民の1人である自分というものは、主体的でなければならなかったのです。
「受け身」であるということは、責任逃れの事なかれ主義で、楽な生き方を選択し続けていたと思います。
街のインタビューで「令和はどんな時代になって欲しいですか?」とありましたが、これも間違いになります。
「あなたは、令和をどのような時代にしますか? 1億2623万人の1人として」という聞き方になると思います。
(2019年4月22日公表人口)
「令和」の考案者とされる中西進氏は「万葉集はグローバルな口承文芸で、立脚点が『日本人』ではなく『人間』なんです」と言われています。
そして近代は『意志』の時代だとも。
「1人一人が自覚して、良質な意志を持つことによって全体が大きな意志を決定できる。AI時代には、そうした『生きる意志』がますます重要になるでしょう。さらに言えば『悟』ということはたぶんAIにはできません」と言われています。
私は、自分にとって新しい時代は「自分が主体的になる事」だと思いました。
そして程なく、この中西進氏の文章に出合ったのです。
新しい時代は、1人一人が「受け身から脱出」して「主体的」に「生きる意志を持って生きる」時代だと確信しました。
これが私の「ワクワク感」です。
じゃ、また!