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コロナのツケかこの4月から何もかも値上げの状態です。
日本でも貧富の差がより一層深まっていくような気がします。
今まで「ご飯を十分食べられない子どもは外国のこと」というような風潮でした。
しかし、この日本に於いても3食きっちり食べられない子ども、大人がいます。
どうして日本に於いて、このような状況になって来たのでしょうか。
今「子ども食堂」も増え始めてはいますが、まだまだ十分ではありません。
これは子ども食堂を増やしたくらいでは解決せず、もっと根本的な所を改善しないと
増々、食べられない子どもが増えていくと思います。
かたや、改善されつつありますが、賞味期限が切れた食品はどんどん捨てられています。
勿論、有効利用で賞味期限が切れそうなものが、子ども食堂に寄付されていることもあります。
或いは、政治関係で桁違いの無駄なお金の使い方が沢山あります。
このチグハグを改善できないものかと思います。
円安が進み株価が乱高下しているのを見ると、お金の価値って何なのかと思ってしまいます。
見えている「お金」という紙切れで不公平や貧富の差が生まれる。
それは人々全員が願っていることなのだろうかと。
それよりも見えない資産の方が大切ではないのだろうかと思います。
皆が食べれるようにするにはどうしたらよいか。
困っている人がいれば、どうすれば解決できるのか。
或いは、困っている状況を作らないようにするにはどうすればよいか。
それは、儲かる・儲からないが基準ではなく、
皆が最低限の生活を守るにはどうすれば良いかという、目に見えない資産です。
お金が絡むと、どうしても自分中心になります。
知床観光船「KAZU 1」の事故に於いても、天候を見て中止すればこの事故は無かったと思います。
しかし、そこに収入というお金が介在するから判断を誤ってしまうのです。
その判断の誤りによって、数多くの人が犠牲になってしまったのです。
その方達ではなくその家族、親族、恋人、友達までもが、
これから辛く悲しい時を過ごさなければならなくなるのです。
紙幣という目に見える資産を増やすよりも、
自分の命や、自分の人生の目的を大切にする。
そんな社会になって欲しいと思います。
事故や事件、災害などに出くわすと、
生きていることがどれだけ価値のあることか思い知らされます。
お金という投資よりも、
人間としての本質的な投資を意識していきたいと思います。
じゃ、また明日!