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本日より譲位された新天皇の「令和」時代の始まりです。
私が新聞やテレビの報道で気になっていたのは、いつも「退位」という言葉が使われていたことです。
2016年8月8日の宮内庁提供の「天皇陛下『お気持ち』表明」ビデオでは「譲位」「退位」という言葉は使われていません。
しかし、Wikipediaによると、
2016年10月20日の皇后美智子さまの誕生日談話では『新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬の驚きと共に痛みをおぼえたのかもしれません』と述べ、表現に違和感があったことを明らかにした。それ以降、天皇陛下が意向を関係者に示されるときに実際に使った言葉は「譲位」である事が明らかになっている。その後、譲位や「譲位・退位」という表現での報道が見られるようになった。
譲位:後継者を明確にしてその当事者への教育・管理ができるという利点を含んだシステムであり、このシステムは「隠居」という形で日本社会全体に定着している。(以上、引用)
そして、2018年宮内庁提供の「平成最後の誕生日の『国民に感謝する』会見」ビデオでは、ご本人の口から「私の譲位の日」というお言葉が発せられています。
言葉に厳格なマスコミが、なぜわざわざ「退位」という言葉を使うのか、単純な私にはわかりません。
この2年半の間に、どこかでその説明がなされていたかも知れませんが、その理由については知る機会がありませんでした。
ここに、週刊ダイヤモンド2016年9月17日号特集「日本人なら知っておきたい皇室」の内容を再編集したものを見つけました。
江戸時代までは変化しながらも、それなりの伝統を守ってきた皇室制度は、明治時代に入ると、大きく変貌する。
幾つかの伝統は無視され、ねじ曲げられた。これは仏教の影響を徹底的に排除し、富国強兵に天皇を利用するためにプロシアの王制を真似てしまったからだ。
10代8人の女性天皇がいたにもかかわらず、皇位継承者を男子に限定した。本来ならば女性皇族も皇位継承権をもつのだから、現在の議論はかなり違ったものになる。
天皇の即位や崩御とは無関係だった年号を一世一元と定めた。
何よりも皇室の歴史と伝統を重んじられる陛下が、現在の皇室典範に不満を持たれているのは明らかだと私は考える。
その全面的な見直しが国民全体に課せられた今後の課題だと言えるだろう。
(以上、2019年4月30日再編集 より抜粋)
平成最後の日に、興味のある文章に出合いました。
じゃ、また!