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「わからないことがあれば何でも聞いてください」というのは、
教育現場などでも言われていました。
よって、わからなければすぐにでも聞けば良いのだ、と。
そう勘違いして育ってきた私は、自分で調べ、自分で考えるという事を怠ってきました。
その結果、自分で考える力が身に付いていなかったのです。
それは仕事をしていく上でも、人と話す場合でも、自分で考える力の必要性を感じています。
何事もすぐに答えを教えれば、その瞬間は解った気になり、解決したように思ってしまいます。
しかし、同じような事に出くわすと、自分で考えた答えではないので、
また誰かに聞かなければ解決できません。
普通に「教える」という事は一方的な伝授の事だと思います。
しかしながら、それだけでは知識として頭の中を通り過ぎるだけになってしまいます。
本当にわかるという事は、自分の心に腑に落ちて、それが行動に結びつくことだと思います。
そうだとすれば、手取り足取り教える事よりも、自分で考える方向に導く方が、本当の意味で
教えるという事になるのだと思います。
自分の力によって気付き、経験していく。
それがより深い学びになり、身に付いていく事に繋がって行くのだと思います。
例えば師弟関係で学ぶ場合、どの分野の道であれ師は弟子に1から10まで教えません。
極端な場合は一切何も教えずに「見て学べ」で終わりです。
調理関係であれば、下積みの鍋洗いの時に鍋に残った汁を指で舐めて味を覚えていく。
というように、自分から学んでいかなければいつまで経っても包丁を握らせては貰えません。
芸事も形は教えて貰えても、お客様に伝える心の部分は自分で考えるしかありません。
自動車の「トヨタ」の教育も自分で考える教育です。
パソコンやスマホが普及し始めてからは、
自分ですぐに検索して答えを求めることが出来るようになりました。
しかし、簡単に答えが手に入るが故に、自分で考えるチャンスを失ってしまうのです。
メールで問い合わせても、すぐに答えが返ってきます。
最近は質問をしても直ぐに答えが返って来なかったり、メールは見ました程度の返事しか
くれない人の方が「これは自分で考えろ」と言って下さっているのだなと思うようになりました。
勿論それは信頼関係が出来ている人との結果であって、はなから邪魔くさがったり
無視する人は別です。
学校教育も他国では、”「教えない」という教え方”の教育方針で、
子ども達が自分で考える教育になっています。
スウェーデンなどでは、カリキュラム自体も個々人で決めるとか。
教師は子どもが質問に来た時にアドバイスをしたりヒントを与えたりする程度です。
「答えは自分で見つけるもの」という、ごくシンプルで当たり前のことが、
出来ているか、出来ていないかで、将来は大きく変わってくると思います。
答えをすぐに求めていた私など、
「教えない」ことで教えられているのだなと、つくづく思う今日この頃です。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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