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人は自分が見ている世界と他人が見ている世界とは違うと聞いたことがあります。
確かに目の前で同じものを見ていても其々の意識の中では、
違ったものとして映し出されているのだと思います。
同じ意見、同じ考え方だから、相手と自分は同じ世界を見ているのだと想いがちですが、
あながち、そうではない時の方が多いようです。
例えば、富士山に登るとして、
相手は、Aコースで山頂を目指そうとしています。
自分は、Cコースで山頂を目指そうとしています。
富士山という山頂は同じ場所なのに・・・。
よって、山頂が同じだからといって全く相手と同じかと言えばそうでもありません。
それぞれの目的が違ったり、意味の捉え方が違うと、その途中の段階では
相手との間に違和感を感じてしまい、何かしっくりこないことがあるかも知れません。
最近、人と話をしていても、この人が描いていることと私が描いていることは
違うかも知れない。
と、感じたり、
この人は私と同じ世界をみている、と感じたりするようになりました。
同じ世界を見ている人は、あまり物事に囚われておらず、世の中の常識にも属していません。
そして発想が地球意識、宇宙意識になっているのです。
物事の捉え方、認識の仕方、価値観など人其々です。
よって、目に見えている部分だけで話をしていても、
一見同じ世界を見ていると思っても、よくよく話をしていけば、
目に見えない部分では違うものを見ているなと感じることがあります。
反対に、音楽1つを取ってみても、その歌詞から感じるものが相手も同じように感じ、
「すごい素敵な曲」とメールが返って来た時は、
前後の会話から、この一言で同じ世界観だと感じました。
厳密にいえば、我々は同じ世界を見ているようで、
一人1人見ている世界が微妙に違っているのだと思います。
むしろ、100%同じものを見るのは不可能だと思います。
その違う所、違う考え、違う感じ方をすり合わせて行くところに、
面白みがあるのではないかと思います。
自分が見ている世界が小さければ、同じように小さい世界しか知らない人と繋がります。
自分が見ている世界が大きければ、同じように大きい世界を知っている人と繋がります。
そうなれば、自分をもっともっと磨いていかなければ、
大きな世界を見ている人と繋がらないような気がしてきました。
今までは1つの地球から色々な世界を見てきましたが、
これからは、宇宙の中の自分から1つの地球を見るような、
何かそんな感覚に陥ってきました。
じゃ、また明日!