感覚過敏症の5歳児のお母さんのインタビューが掲載されていました。
発達障害があり、感覚過敏症も併発しているので、マスクやフェイスシールドが
1分も付けておれない状態なのです。
そこでインスタでデザイナーをされている方が数量限定で販売されていた、
「感覚過敏症のためマスクを着用することができません」というバッジを着用されました。
それまではマスクを付ける事の出来ない息子さんと外出することに対し、
周囲の目が気になったり、うしろめたさを感じたりされていましたが、
息子さんとお出かけをして色々な経験や思い出を作ったり、息子さんの成長を優先させました。
その姿をSNSで公開すると「なぜマスクが出来ないのに外出をするのか」「マスクは付けるべき」
「あなたの息子がコロナを他の人にうつしてしまったらどうするのか」など、
グサグサ心に突き刺さることもありました。
厳しい声が頻繁に届くようになったけれど、同じように悩んでいる方や
その親御さんが沢山いる事も知りました。
「声を上げてくれて嬉しい」とか、「感覚過敏症ということばを始めて知った」
「そんな理由があって付けられない人がいる事を学んだ」など。
少数派だからこそ、厳しい意見を覚悟してでも声を上げることの重要性を感じる事が
出来たようです。
「感覚過敏症のためマスクを着用することができません」という「意思表示のバッチ」があることで
「なんであの子マスクしてないの?」と不快に感じられる方に対して、意思表示が出来ているという
安心感があるようです。それだけで気持ちが違い少しだけ気が楽になったようです。
この息子さんも付けている赤地に白の✟と♡の「ヘルプマーク」も同じだと思います。
「あの子何?」と思われる前に、マークを見て少しでも理解して貰えたら・・・。
私も街中でこのヘルプマークはよく見かけます。
子どももいれば年配の方も付けておられます。
そのマークを付けているだけで、こちらも気を付ける事が出来るのです。
要は、背景や事情を知らなければ、判断を間違うという事だと思います。
コロナ初期の頃は医療従事者の方の子どもさんが「幼稚園に来させないで」とか
「公園で遊ばせないで」とか言われていました。
医療従事者の方がどれだで休む間もなく大変な状態で人々を助けようとしていたか。
そういう状態の時にそのような言葉を浴びせるのです。
初期の頃は散々「あの人、コロナに掛かったんだって」とひそひそ話をしていた人が、
ご自分がかかると「これだけ拡がってくると、かからない方がおかしいわ」と
平気で言われています。
初期の頃に「もしも自分が・・・」とか「自分の子どもが・・・」とか、
人を責める前に、自分事として考えることが出来たなら、
相手に不快な思いを与えなくて良かったのにと、思います。
私自身、自分のカラダで免疫力を付けたいので予防注射は打っていませんが、
ひつこく聞いてくれていた方が、3本目を打っているにも拘わらず、自宅で寝込んでいました。
重症にならなくて良かったものの、打っていなくてもまだかからないし、打っていても
かかる時はかかるようです。
何事もそうですが、非難していても背景や事情がわかれば、見方が180度変わります。
「7つの習慣」にもありましたが、子どもが電車に乗っていて騒いでいるのに父親が注意をしない。
見かねて父親に注意した所、「今、あの子達の母親が無くなりました。
これからあの子達にどう説明すればいいのやら」と聞いた瞬間、
「何かお手伝いすることはありますか?」が口から出るのです。
ものの見方が変われば、意識も変わるのです。
見えている現象だけ、目の前の事だけで判断してしまうと誤った方向に行く場合もあります。
よって、非難する時は特に背景や事情を知った上で非難しないと、
自分が知らないだけ、と暴露するようなものだと思います。
じゃ、また明日!