「あなたの為に言っているのよ!」
確かに、相手の為に言いたくはない事でも言う時があります。
しかし、最近の学校での教師の在り方や、親のしつけの在り方を見ていると、
疑問に思う時があります。
例えば、忘れ物を毎日のようにする男の子に対し、先生の機嫌が悪かったのか、
すごい剣幕で怒りだし、机を蹴り、声を荒げてその子のランドセルをすべて廊下に放り出しました。
そして「お前はこの教室にいる資格はない!」と。
その子は先生の怒りが収まるまでじっと耐えていました。
それを見ていた同級生の女子は恐怖心を抱き、大人の男性に恐怖心を抱きやすくなりました。
そして大きくなっても「怒らせてはいけない」「怒られるのが怖い」という、考えが
ずっと染み付いているようになりました。
恐怖というものは、直接向けられている人だけではなく、その周囲にも大きな威力を発揮し、
悪い影響を残します。人の能力を下げるものであり、トラウマを生じさせるものだと思います。
と、彼女は書いています。
この先生の怒りはだれに向けられているのでしょうか?
毎日のように忘れ物をするのなら、そこの家庭環境を確かめ、
男の子がどんな状態にいるのか確認したのでしょうか?
その子の親と忘れ物をしないように話し合ったのでしょうか?
きっと「やっていない自分」に対しての怒りだと思います。
「解決出来ない自分の能力の無さ」に対する怒りだと思います。
それを、感情だけで当人にぶつけてしまっているのではないでしょうか。
この例の場合は、改善するのは先ず教師の方だと思います。
親子の場合、親は子どもに対して「しつけ」をしなければと思います。
小さい頃のしつけは非常に大切だと思います。
特に社会生活を送る場では、しつけは非常に大切です。
しかし、「怒る」=「しつけ」ではないと思います。
親は「子どものために」と思ってしつけるのですが、
その「しつけ」が怒りに変わってしまうのです。
その怒りは誰に対する「怒り」なのでしょうか?
その「怒り」は「自分の思う通りにならない怒り」だと思います。
自分の思うようにさせようとして、自分の思い通りにならないから、
「親の未熟さ」を自分で感じて怒りとなってくるのです。
結局は親である自分に「親の未熟さ」を感じたから、
子どもにその未熟さをぶつけてしまったのだと思います。
人間関係においても「思い通りにしたい!」と言うのは「支配したい!」という事でもあり、
それが叶わない怒りなのだと思います。
これもよく聞くことですが、自分が発した言葉を一番最初に聞くのは自分です。
怒りの言葉を言えば、怒りの言葉は先ず自分の耳に入ってきます。
よって、怒りの言葉が自分の耳に入ると脳に伝達され、
マイナスのエネルギーになってしまうのです。
「支配」ではなく、相手も自分も1個の人間として認め合い、
たとえそれが先生と生徒の関係であれ、親子の関係であれ、
自分が相手に伝えたいことは何なのか?
それは一体誰のために言っているのか?
冷静に考えて「相手を自分の思い通りにしようとしない」ことが大切だと思います。
親の虐待も、
まさしくこれに当てはまると思います。
じゃ、また明日!