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”7つの習慣”の第一の習慣に「主体的である」というのがあります。
「刺激と反応の間にはスペースがある。
そのスペースの間には、反応を選ぶ自由がある。
私たちの成長と幸福は、その選択が鍵を握っている」
私は浅はかさ故このスペースが無かったので、自分の身に何かが起こると、直ぐに感情で反応をしていました。
よっていつも感情の結果しか出てきませんでした。
本当は、自分の身に起こる刺激とそれに対する反応の間には、一息つく一旦停止のスペースがあったのです。
そのスペースは、感情的に反応するのではなく、客観的に自分の身に起こったことを受け留め、
考えて一息ついてから、より良い反応を示す為のスペースでした。
社会的、精神的な傷を負っていても、
他の人達からどんな扱いを受けていても、
崇高な意図や挫折や重圧、失敗に見舞われたとしても、
それらにどう反応するかを、選択する自由と能力があります。
私は今迄「選択する自由があります」と言われても、
「そうなんですか、選択する自由があるのですね」と人ごとのようにしか、受け止められていませんでした。
しかし、考えてみると「選択する自由がある」ということは「選択する権利がある」ということで、
それは「選択する義務がある」ということにもなります。
よって「選択する自由があるのですね」と、お気楽に鎮座している場合ではなく、
1つ一つ感情ではなく、冷静にかつ客観的に考えて、それに対する反応を選択していく義務があるのではないかとさえ、思いました。
選択の自由があるからこそ、直ぐに感情的に反応するのではなく、自分の人生を生きる選択をする必要があると思います。
その1つ一つの選択の結果が、振り返った時に自分の人生の足跡でもあると思います。
じゃ、また!