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ある方のメルマガで面白いのがありました。
あるヨギ(聖者)が集会で、
「どうして戦争が起きるのか?」と支持者に問われ、
「どうして戦争になるまで、あなたの思考を放ったらかしにしておいたのですか?」
と、問い返した。
この問い返しは、原因は「あなた」ですよと、言っているようなもの。
外側の世界は、自分の思考が作り上げているもの。
よって、社会で起こっていることも全て「自分」に責任がある、と。
「どうして」の中にも「理由・根拠」と「原因」があると思います。
よって、戦争になるまで何となく感じていても、
何も言わない、何もしなかった「あなた」が原因だから、「あなた」にも責任がある、と。
それを「どうして戦争が起きるのか?」と自分の外に問うのではなく、
何も考えずに見て見ぬふりをしていた、自分の内側に問うべきではないですか?
と言われているように感じました。
問題や事件、戦争が起こる前に考えなければならなかったのに、
自分の思考を放ったらかしにしていたのはどうしてですか?
責任はあなた自身にあるのですよ。
と、ここまで考えたら、いじめ事件などの学校・教師・教育委員会の姿勢と
ダブってしまいました。
「どうして隠蔽問題になるまで、あなたの思考を放ったらかしにしておいたのですか?」
と。
自分の思考を放ったらかしにするという事は、こういうことなのかと改めて思いました。
私達の目は外に向きがちです。
ここでは思考という言葉を使っていますが、思考もそうですが、感情・感覚も大切だと思います。
自分の内側に眼を向けば、例えばいじめ問題にしても、生徒の態度、状態、顔色、目つきなど
もっと感じるはずです。
その子が何を訴えようとしているのかを五感を使って感じれば「そうは見えなかった」とか、
「ただのふざけだと思った」とか、教師が感じるレベルではないと思います。
自分の感情をないがしろにして、自分の感情を放ったらかしにするから、
自分の思考も放ったらかしになるのだと思います。
先ずは自分の心の感度を取り戻す必要があると思います。
教育に携わる者は特に、五感から得た感情と思考との両方で、
一人の人間と接する必要があると思います。
それは強いては他国と戦争になる以前にも、必要な事だと思います。
じゃ、また明日!