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自分が「しあわせ」と感じるのは、一体何なのでしょう。
戦後、「もの」の無い時代は「もの」があれば満足でした。
段々と生活が豊かになるに従って、より良い「もの」を求め始めました。
食べ物でも、着る物でも、住む家も、生活用品も。
次から次へと、よりよいものを求めて発展して行きました。
いわゆる、物質文明です。
しかし「満足」というものにはキリがありません。
「もっと、もっと」の満足度の追及は、満足が枯渇した故の不幸になります。
それは他人との比較になり、自分自身の中での満足がわからなくなるからです。
人間の欲望にはゴールがないので、それ以上の満足を求めなかったら、
その先は不幸を感じるしかなくなるのです。
そして潜在意識が働いて、自分は「不幸だ」と思ってしまうのです。
反対に「しあわせ」を追い求めたら、いくらでも感じることが出来ます。
今まさに一番「しあわせ」というものを感じているのは、
ロシアからの攻撃を受けて逃げ惑っているウクライナの人々だと思います。
昨日まで当たり前に寝ていたベットも、朝食に使ったテーブルも、
粉々にされた状況で地下に避難しています。
ゆっくり布団の中で手足を伸ばして寝ていたのが、
今日になると体を横にすることさえできません。
ただ、恐怖の中で怯えて耐えるしかありません。
何気ない日常の中でも「しあわせ」は沢山あります。
自然の鳥のさえずりや、ホッとした時のコーヒーなど、ふとした中にも「幸福」はあります。
人間は「しあわせ」を感じるという事は非常に大切な事で、
「しあわせ」を感じると、それがもっと頑張ろうと思うエネルギーになるのです。
誰かが自分の事を見守ってくれていると感じるだけで「しあわせ」になります。
心がベールに包まれて豊かになります。
メールする相手がいるだけでも、電話を掛ける相手がいるだけでも「しあわせ」です。
ウクライナの人々は、家族に電話を掛けても無事かどうかさえもわかりません。
相手を想う気持ちを自分が感じられることでさえ「しあわせ」です。
それは決して「もの」ではないのです。
「もの」が有り余っていても、不幸を感じている人もいれば、
「もの」がなくても、人との繋がりで「幸福」を感じている人もいます。
「満足」は追求です。
しかし、
「幸福」は追い求めて自分が感じるものです。
決して追求ではありません。
1つ1つの小さな出来事を感じ、些細な「しあわせ」を積み重ねることが、
明日へのエネルギー、明日への勇気になるのだと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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