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私達は無意のうちに「他人との比較」に於いて、自分を確認している所があります。
そもそも学校教育がそれに当たると思います。
テストの点数で、自分は上の方だとか自分は下の方だとか。
そうなると知らず知らずのうちに自分の欠点を探してしまい、
「自分は頭が良くないんだ」とか「自分は運動が出来ないんだ」とか「自分は音楽が苦手だ」
と、ネガティブな感情に囚われてしまいます。
しかし、自分というものを知る時は、数字や実力で他人と比較して知るものなのでしょうか?
自分の定義を創造するのは自分自身です。
他人と比較をしても、何点と何点の差ね!とか、上手と下手の違いは解っても、
自分の存在の比較はできません。
自分が自分として生きたいのであれば、他人との比較に縛られることなく、
自分自身の目標達成に向けて日々努力した方が、自分が楽になれるのではないかと思います。
小さい時は、無我夢中で遊びほうけていました。
どんなものでも創意工夫して遊びに変えていました。
大人になるとそういう自分をすっかり忘れています。
忘れるどころか、「自分にはできない」レッテルを自分で貼り付けています。
小さい時は同じ年齢でも発達の違いは当然なので、他人と比べることはしませんでした。
いつから自分で自分に足かせをするようになったのでしょう。
社会に出ると、周りに合わさなければと思い、自分を出さなくなります。
自分を出さなければ、本当に自分が望んでいることがわからなくなります。
何かやろうと思っても「周りからどう思われるだろうか」とか、
人の見る目が優先になってしまいます。
人からどう見られるかという事と、自分がやりたいことをやるというのは、別の話です。
見ているその人が自分の人生を引っ張って行ってくれる訳がありません。
自分の人生を引っ張るのは自分しかいません。
小さい時は「○○ちゃんと、何々をして遊びたい!」
学生の頃は「土・日はこれをしたい」
と、誰もがそわそわワクワクしていたと思います。
それが社会人になると「土曜日は買いだめをして、日曜日は寝だめをしたい」
になります。
誰もが持っているはずの、何としてもやりたいワクワク感をどこかに忘れています。
人は目標があるから目標に向かって歩けるのです。
目標がなければ、歩く必要もないかも知れません。
そうして歩かない状態が続くと、歩けなくなるのです。
自分を成長させるのは、自分の目標だと思います。
熱中できる目標を、ワクワクする目標を自分の中から見つけ出し、
これからの人生を、自分で引っ張っていくことを思い出そうと思います。
じゃ、また明日!