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情報は意識のアンテナがキャッチすると思います。
最近では、パソコンやスマホが親切にも興味のありそうな情報を与えてくれますが、
本来は自分自身のアンテナで拾い集めていたと思います。
不思議なもので、身内に妊婦さんがいると街中でも妊婦さんが自然と目に入ってきます。
それまでも街中で歩いていたと思いますが、
自分の身近な人がそうなると、目につくようになります。
それは、自分の意識がキャッチしない情報や出来事は、
自分の世界には存在しないのと同じです。
1月17日は阪神淡路大震災の日でした。
新聞やTVでニュースとして伝えてくれます。
それを見て、全国の中でも大災害に遭われた方は、
我が事のようにニュースを感じておられると思います。
反対に全く災害に遭っていない地域の方は、1つのニュースとして映っていると思います。
私自身、震災に遭うまでは色々な災害を見ても
「復興が大変だ」とか「生活は大丈夫だろうか」とか、
1つのニュースとしてしか捉えることが出来ませんでした。
しかし、今はニュースを見ても現場にいるような感覚で捉えられるようになりました。
それまでは「神戸は地震が来ない」と呑気なことを言って、
自分の世界には震災は存在していなかったのです。
自分が興味なかったり無自覚であるということは、何も知らないということです。
本当は自分の周りに情報が一杯飛び交っているのに、
その情報が見えていないが故にキャッチすることが出来ないのです。
よって、見えないから存在しないということになるのです。
しかし、色々なことに興味のある人は、
「自分は何も知らない」ということを知っているのです。
よって、自分は知らないから知ろうとする。
自分は知らないから知ることができる。
という可能性を見出すことが出来るのです。
自分は知っていると思うのか、
自分は知らないと思うのか。
その前提判断は自分自身です。
人は自分が選んだ前提に立って、人生を生きているのだと思います。
赤ちゃんや幼児は何も知らないから、次から次へと興味が湧いて来るのです。
興味の塊で、1つ1つ知っていくのです。
反対に歳を重ねれば重ねるほど、知ってるつもりになって興味が無くなってしまいます。
年配の方とお話をしていると、未だに興味を持っておられる方と、
興味を持っておられない方とに分かれます。
興味を持っておられる方は、知らなければ素直に「それ何?」と、言って知ろうとします。
興味を持っておられない方は、最初から諦めムードで「どうせ聞いてもわからないから」と、
自分を閉じてしまいます。
どちらが人生を楽しんでいるかと言えば、当然、前者の興味を持っておられる方です。
例え残り時間が少なくても、
興味を持って今まで見えていなかったものを、見てみたいと思います。
じゃ、また明日!