タグ:
テレビの番組でもありましたが「一流芸能人」「二流芸能人」。
一流・二流の差は何なのでしょうか。
「一流とは、その世界で第一等の地位を占めているもの」と、あります。
では、なぜ第一等の地位を占めているのでしょうか?
私は、学ぶ姿勢、感じ取る姿勢だと思います。
学びというものは、どんなものからでも学ぶことが出来ます。
集中しなければならない時に、よそ見をしてしまうと、学びは出てきません。
農家の方は、農作物から教えて貰います。
林業の方は、木から教えて貰います。
すべて今、自分が対象とするものから学びは生まれてきます。
趣味でも何でも、自分が没頭しているものは、没頭している相手から教えられます。
今日、生のナッツを炒りました。
料理関係は目安で何分とか書いてあります。
しかし、各個人の調理器具によっても微妙に違いがでるし、
教科書通りには行きません。
今日のナッツ炒りは、炒っている手の感覚からわかります。
最初、生の時は木のへらが重たく感じます。
ナッツに火が通ってくると、段々とその手先から軽くなってきます。
あるところまで来ると、ナッツの方からもういいよ!と、教えてくれます。
炒り方の教科書を見たわけでもなく、誰かに教えて貰ったわけでもありません。
教えて貰う相手はナッツです。
炒っている間はナッツから目を離しません。
色の変化、匂いの変化、表面の変化。
それぞれの変化から、炒り具合を教えて貰います。
そして、最後にへらから伝わるナッツの重さが軽くなった瞬間、
丁度よい炒り具合になっているのです。
石は石屋に聞け。染物は染物屋に聞け。と言われるように、
自分が今、向き合っている相手から答えは教えられるのです。
人間関係も教育も全て同じです。
自分が今、向き合っている相手が答えを知っているのです。
その答えを自分が感じることができるかどうか。
聞き取れるかどうか、の違いなのです。
加藤秀視さんのFBに書いてあったことが、まさにそれだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一流の教育者は生徒や受講生から学ぶ。
二流の教育者は教育書から学ぶ。
三流の教育者は生徒や受講生を見ることさえしない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分がどこを見るべきなのか。
すべては、自分が今向き合っている相手から目を離さないことだと思います。
じゃ、また明日!