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私の要領の悪さは昔からの事ですが、いまだに要領が悪いと思います。
若い頃、自分で自分を追い込んでがんじがらめになった時、
目の前の石をすべて取り除いて進もうとしていました。
大きな石も小さな石も選別せずに、全て取り除くという目的になってしまい、
なかなか前に進まなかったのです。
それで石ころを取り除くことに目いっぱいになってしまい、
結局、自分は何をしているのかわからなくなり、前に進めなかったのです。
その時、小さい石ころなら踏んでも死なないと思い、
前に進めない大きな石だけを取り除く事にしたのです。
そう割り切ってからは、少し楽になり、全てに対処しようと思わなくなりました。
しかし、未だにその癖が抜けず、自分ではそんなに真面目にやっているつもりではないのに、
やはり人から見れば真面目にやっているように見られます。
本当の真面目なら、自分のやっていることが報われ、結果として残って行くはずです。
しかし、私の場合は、やっているのはやっているけれど、要領が悪く効率が悪いのです。
そこで「適度に適当に」やる必要があるのですが、なかなかその感覚が掴めません。
「適度に」という事は、程よくという事なのですが、程よく知るためには、
先ず全体を把握して、その中で大切な事とそうでもない事を見極め、
その中で程よくやっていく必要があります。
結局、若い頃の全ての石をのけてから前に進もうとした自分は、変わっていませんでした。
「適当」には2つの意味があって、①丁度良い程度 ②いいかげんなこと
これも丁度良い程度、となります。
という事は「ちょどよい程度」を先ず自分が知ってイメージできないと、
程よい目標が描けません。
例えば、昔の薪で焚くお風呂の場合「薪を焚いてお風呂を沸かして下さい」と
言われた場合、どの位の湯加減なら、気持ちよく入って頂けるか、イメージすると思うのです。
人によっては熱い湯加減が好きな人、ぬるい目が好きな人はいますが、適度にイメージしながら
沸かすと思います。
そんな時、言われたからと言って、薪を焚くことが目的になってしまえば、熱くて入れません。
よって、相手がどの位の湯加減が好きかを把握する事と、
その湯加減を目標として薪を焚く事。
これが解っていないから、火を焚く事ばかりに気が向いてしまい、
肝心の喜んでもらえる湯加減がおろそかになってしまうのです。
真面目にやっているという事は、私の場合は相手をきっちり把握できていなったから、
どの石をどけて、どの石はそのままでも良いという判断が出来なかったのです。
これは自分の今の状況をよく見ていなかったという事だし、
見えていても何も感じていなかったという事だと思います。
適度に適当に、メリハリをつけるという私にはなかなか克服できない課題が
未だにあったようです。
「現状をよく見て考える」
これも今年の課題になりそうです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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