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「しあわせ」の語源は「為(な)し合わせ」だとか。
お互いにしてあげることが「しあわせ」の本質のようです。
確かに「しあわせ」は独りでは感じることが出来ないと思います。
相手があってこそ、感じられるものだと思います。
私たちは周りに支えられて生きています。
しかし、すぐにそれを忘れて自分1人で生きている錯覚をしてしまうのです。
尊敬できる人は「謙虚」であり、いつも「ありがとう」を言ってくれる人です。
そういう人の周りには、いつも人が寄ってきます。
その人が何かしようとすれば、何かお手伝いをしようとする人が寄ってきます。
結局その人は、人に喜ばれている人、人を喜ばせることのできる人なのです。
だからいつも「しあわせ」を感じているのだと思います。
目の前の出来事に対して全力で生き、人の役に立って喜んで貰う。
それを比叡山延暦寺を開山した最澄が『山家学生式』の中で、
「一隅を照らす」と、説いているようです。
いかに財を築いて成功したとしても、それをもって国の宝と言うのではなく、
どんな立場であっても、何処にいても、世のため人のために善を尽くす人こそが、
国の宝である、と。
そして、1人1人が自らの周りを照らしていけば、
自ずと社会全体が明るくなるという教えです。
昨日書いた「みんながしあわせになる」という考え方に通じると思います。
人に「喜ばれる存在」と言うのは貴重だし、憧れます。
燃える松明はその人の信念だと思います。
その松明で世の一隅に光を与えて照らし続けるのは、
まさしく国の宝だと思います。
そういう地道な活動をし続ける人が増えれば、
救われる人も多いのではないかと思います。
「しあわせ」の語源は「為(な)し合わせ」
お互いにしてあげることが「しあわせ」の本質。
私も今年は「為し合わせ」をして、
「しあわせ」の本質に触れてみたいものです。
じゃ、また明日!