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今では遊ぶ事が少なくなった「ダルマ落とし」
円筒形の積み木を重ねていき、積み木のテッペンにダルマを置きます。
小槌を使って一番下の積み木を横から叩いて落としていき、最後にダルマだけ残します。
今日、ダルマ落としの画像を見て、ふと思いました。
生まれた時はダルマさんだけです。
幼稚園や学校に行き始め、社会人になるにしたがって、積み木は増えていきます。
積み木が増えれば増えるほど、ダルマさんは高くなり地に足がつきません。
でも、生まれた時は地についていたのです。
高くなったダルマさんは、広い範囲で見れるので、偉くなったような気がしていました。
しかし、見ているものは良いものもあれば、ごちゃごちゃした不必要なものも目に入ります。
そして、あまりにも多くのものが目に入って来るので、何が大切かがわからなくなって来ました。
もしかしたら、この状態が今の自分かも知れないと思いました。
本当に大切なものと、さほど大切でないものがごちゃ混ぜになってしまい、
本当に大切な物が見えなくなってしまったのです。
それは全て自分の責任です。
誰かが積み木を増やすときに、なすがまま言われるがままに増やしていったのです。
よって、今からすることは、不必要な積み木を落としていくことです。
もしかしたら、積み木は必要なかったのかも知れません。
積み木で高かった時は、底辺の部分が自分の世界だと思っていました。
しかし、1段減り2段減りしているうちに、見えてくる世界が違ってきます。
裾野が段々と自分の価値観に絞られてきます。
すそ野が絞られてくると、自分にとって必要なもの、不必要なものがわかってきます。
それを続けていると、最後のダルマさんだけになって来ます。
生まれた時のダルマさんです。
純粋な自分です。
その時、周りを見渡せば自分と同じような純粋なダルマさんだけの世界になっています。
そうなるとその世界は不必要なものを落としてきたダルマさんばかりなので、
価値観も同じ、生き方も同じ世界で、お互いを認め合いストレスの溜まらない世界です。
周りの視線を気にすることなく、自分を思いっきり出せる世界です。
むしろ自分を出すよう急かされる世界です。
自分の持って生まれたものをそのまま出せば良かったのです。
最初から積み木をしなくても良かったのです。
遠回りをしたけれど、ダルマさんだけの世界もあるという事を知った今、
自分で「ダルマ落とし」をすれば良いのです。
今となっては誰も積み木を落としてはくれません。
自分で落としていくしかないのです。
人生の残り時間内で、ダルマさんだけの世界を見てみたいものです。
じゃ、また明日!