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諦めの言葉はよく聞きます。
「自分は人生に失敗したから」
「どうせ自分にはできないから」
「自分はもう歳だから」
これって誰と比較した話しなのでしょうか。
失敗って一度すると二度と立ち上がれないものでしょうか。
そうじゃないと思います。
私の理想は起き上がりこぼしなので、
映画「千と千尋の神隠し」のテーマ音楽じゃないけれど、
「いつも何度でも」です。
進学に失敗しても、就職に失敗しても、それで人格が否定されるわけではないのです。
就職試験など何社も不合格になれば、自分の人格が否定されたように思います。
しかしそうではなく、その時の景気・不景気によって採用人数は違うし、必要な産業も違います。
その時の社会情勢に左右されることだってあるのです。
同じ人物であったとしても、採用人数が多ければ受かるし、少なければ落ちます。
人事の方も本当は採用したい人物だけれど、今年は1名しか採用できないからと、
残念がっているかも知れません。
これって、人物を否定されているのではありません。
たまたまの採用人数だからです。
そんな状況に左右されると、自分自身を見失ってしまいます。
今、活躍されている大企業の社長さんだって、最初から上手くいっていたのではないのです。
何度も失敗を繰り返す中で、現実を受け入れ、その時の今を本気で生きたから、
現在があると思います。
現実を受け入れると言いうことは、他人との比較においての自分ではなく、
自分自身との比較です。
自分の内面との対話です。
私自身、まだ自分との対話が十分ではありませんが、
以前は世間の価値観との比較しかできませんでした。
しかし、コロナになってからマスコミの扱い方を見ていると、
その時々で扱い方が変わっているのを感じます。
出されているデーターにしても本当かな?と思ったり、偏っているなと感じたりします。
SNSを見ると、マスコミとは違う情報があったり、データの見方が違ったりしています。
その時、自分はどう考えるかが大切で、
テレビで言っていたからと鵜呑みにするのも危険な気がしてきました。
コロナだけでなく、いじめ自殺の問題にしても、世間が騒がしくなってきたら、
初めて扱いだすという状況です。
よって、他人の判断についていくのは、自分の人生を他人に任せたようなものです。
リスタートは、自分自身の再始動です。
現在の自分の状態を認め、認めた上で自分の内側を変えて行く。
他人を見て、他人の真似をして再始動したとしても、前には進めません。
前に進むためには、自分自身の内側、自分の本心、自分の本当にやりたいことに気付き、
それをやっていくのです。
昨日までの自分を否定するのではなく受け入れ、その時点からの再出発です。
だから、そこからの自分はどうしたいのかが問われるのです。
これは年齢に関係なく、本人がリスタートしたい時から始めることが出来ます。
今迄の自分の人生に疑問を持ち、違う本当にやりたい自分の人生に気付けたら、
リスタートは1歩片足が前に出始めているのかも知れません。
改めて「自分にとって何が大切か」自分と向き合うことが必要だと思います。
自分の本心、心の奥から欲することに気付けるには時間が掛かるかも知れません。
しかし、それに向かって歩み始めることが、自分の人生を豊かにし、
しあわせを感じるのではないかと思います。
じゃ、また明日!