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人は何かしらの目的に沿って生きている中で「怒りを捏造する」のも目的であるという文章で、昔のわからなかったことがやっと理解出来ました。
社会に出たての頃、ある集まりがありAさんは来られていませんでした。
普段、普通に話していた関係だったので何気なく「今日は来られなかったのですね」と言った途端、
「何で今日集まりがあるということを言ってくれなかったんだ!」と、皆の前で大声で怒鳴られました。
私としては全員に回覧で通知があったし、特別Aさんに連絡しなければならないなんて思ってもいなかったので、ただただびっくりしただけでした。
皆がいなくなると、Aさんはその話には触れずに普段のAさんに戻っていました。
当事20歳そこそこの私にはその状況は理解出来ませんでした。
今、アドラーの目的論(嫌われる勇気)を読んで合点がいきました。
Aさんは自分が集まりの日程を忘れていたことを認めたくなかったのです。
だから「なぜ教えてくれなかったのか!」と、教えなかった私のせいにして、自分のミスではないと言うことをアピールしたかったのです。
Aさんは厳格な所に勤めておられたので、ミスは許されない中で過ごされてきました。
きっと私のように「忘れてお昼を食べに行ってしまいました」と、言えなかったのだと思います。
自分のミスを隠すために、入りたてで何もわからない私に自分の言うことを聞かせたかったのだと思います。
その手段として、怒りという感情を捏造し、皆の前で自分のミスではないという主張を押し通す為に大声で怒鳴ったのです。
Aさんは、私なら何も言わずに黙って言うことを聴くだろうと予期していたので、私に怒鳴ったのです。
言葉で、自分が集まりを忘れていたことを説明する手順を面倒に感じ、弱そうな私をより安直な手段で屈服させようとした。
その道具として、怒りの感情を使ったのです。
いにしえの疑問がやっと解明されました。
じゃ、また!