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今「原因論」と「目的論」の違いに興味があるので、連日同じような事を考えています。
過去のパターンのまま考えて行動すると、もしかしたら、本来自分の中に潜んでいたはずの可能性を閉ざしたままになるのではないか?
自分の未来が未来ではなく、過去の延長線上を生きているだけになるのではないか?
ふと、そんな風に思ってしまったのです。
世間では退職すると「第二の人生を楽しむ」とかよく言われていますが、会社という縛りが無くなり、時間的には自由に好きな事をしていても、生き方がそのままであれば、それは第二の人生といえるのだろうか?と思ってしまいました。
会社の縛りによって、やりたくても出来なかったことに挑戦するという、今まで自分がやらなかった・やれなかった可能性に取り組んでこそ「第二の人生を楽しむ」ことが出来るのではないだろうか。
もしそうだとするのであれば、自分の可能性に挑戦して今までと違う世界観で生きてみるのも、第二の人生ではないかと思います。
自分で自分の可能性に気付かず、平穏無事に自分の人生を終わることが「自分の生きる目的」であるのなら、それはそれで自分の人生を生きたことになると思います。
人生100歳時代。
趣味に生きるのもよし、ボランティアで活躍するのもよし、毎日を楽しく元気に過ごせるのが一番であると思います。
そしてそれ以上に、自分の思った事を思った通りに出来る毎日を過ごせるのが、自分の未来を創ることになるのではないかと思います。
私も100歳まで生きるなら、就職期間と同じ年月を第二の人生として過ごす時間はあります。
そう考えたら残る人生で「過去の延長を作るか、未来を創るか」は、
自分の人生の持ち時間が無くなる瞬間の、自分への大きなプレゼントになるような気がしてきました。
じゃ、また!