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私は以前はよく気を遣うと言われていました。
しかし、今は違います。
今は自分中心になって、少しは主体的に言動するようになりました。
知り合いに気を遣う人と、気を使わない人がいます。
その両方の事がどちらも自分の中にあるような気がしました。
気を遣う人の話を聴いていると、亡くなられたご主人や子供第一で、
「こう言うと、不機嫌になるのではないか」と、いつも相手の考えを優先させていました。
時には意見が食い違っても自分が我慢をすれば良いと、いつも相手に配慮していました。
それは、相手に嫌われたくないという心理が働き、関係が悪くなるなら、
自分が折れた方が良いと思って自分を出さないのです。
そしていつも相手に合わせて機嫌を取ろうとするから、ストレスが溜まってしまうのです。
しかし、気を使わない人から見れば、発言と本音が真逆ではないかと想像したり、
「優しそうだけれども、心を開いていないのではないか」という印象を持ったりします。
そして、相手に気を使われると自分も気を使ってしまうから疲れてくるし、
本音を言わないので一向に距離が近づかず、イライラしてしまう時もあるようです。
これらの原因は「自分が周りにどう思われているか」という事が気になり、
周囲の反応が、時分の行動基準になってしまうのです。
よって、相手が嫌な気持ちにならないよう、いつも先周りをして相手の気持ちを汲んだ行動を
する癖がついてしまっているのです。
時分の意見より相手の意見を優先すれば、安定した人間関係が築けると思っているのです。
その結果、いつも一歩引いた立場で相手と関わろうとするのです。
それともう一つ、自分の自信のなさが自分を低く見積もってしまい、
相手に遠慮して自分の意見を言うのを止めてしまうのです。
それらは自分の中の固定観念です。
知らず知らずに身に付けてしまった固定観念が、自分で自分を疲れさせてしまうのです。
小さい時から「周りの意見は聞くものだ」とか「相手をたてなさい」とか、
「まずは相手に譲りなさい」とかが自分の中で固定観念となり、定着してしまったのです。
自己犠牲が強いと、自分の気持ちがわからなくなります。
相手を尊重することは大切ですが、妥協してしまったり、自分の意見を言えなかったりは、
やはり本当の自分ではないと思います。
自分の気持ちに正直に気を遣うことなく、時には断る事も必要です。
自分の気持ちを優先にして相手が遠のくのであれば、所詮続かない相手だと思います。
私は今は気を使わない人かなと思っていたけれど、改めて書いてみると、
まだほんの少し気を遣う部分が残っていて、
却って相手に気を使わせてしまっている所があるようです。
もっと自分に正直に生きる事にします。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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