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最近私の頭の中は、あれとこれが繋がりそうで繋がらない、
という混沌とした状態が続いています。
本日も「抽象化」が大切だからと思い、抽象化を調べていくうちに、
それって「本質」ってこと?と、別の思考が顔を出します。
また、「抽象化」って帰納法と同じ?
だったら「具体化」は演繹法?
といったように、考えがバラバラになり、
結局、何を調べていたのかわからなくなってきました。
きっとこれらは繋がってくると思います。間違っていなければ・・・。
今の私は繋がる前に寄り道をしたり遠回りをしているようです。
「抽象化」は大雑把に言うと「重要でない情報をそぎ落とす作業」だとか。
枝葉末節にとらわれず、一旦抽象化して軸を固め、それから個々の事例に戻って
具体策を考えるプロセスがベストだとか。
となると、やはり「帰納法」と「演繹法」になってしまう。
「抽象化」と「具体化」、「帰納法」と「演繹法」は、
「本質」を炙り出す手段という事になるのでしょうか?
これらが上手く使いこなせるようになると、
ものごとの理解、判断がスムーズにいくと思います。
今までは八百屋さんを例に出していました。
人参・キャベツ・レタス・トマトという「野菜」と、
スイカ・柿・みかんという「果物」
この両方を売っているのが「八百屋さん」
1つ1つの種類の説明をしなくても、
「八百屋さんに行って買ってきて」と言ったら済む話です。
今日、少しはっきりしたのが、住所を例にとるとわかりやすかなと思いました。
○○国○○県○○市○○区○○町○○丁目○○番地
ごく、近所の友達と確認するには○○町○○丁目で確認を取ります。
職場の仲間とでは、○○市○○区と確認します。
ZOOMミーティングでは、○○県○○市で挨拶します。
海外のZOOMミーティングでは○○国○○市、で自己紹介します。
海外の人とのZOOMの場合は○○町○○丁目は不必要になって来ます。
その時のその状況によって抽象度の度合いも変わってきます。
「抽象度」は重要度の低い情報を取り除くと言われるのが、この部分だと思います。
宇宙レベルの話になると、もう個人の住所などどうでもいい情報なのです。
これらの段階が分別できるようになれば、
もっとスッキリと物事が考えられるのになと、思った次第です。
よって、「抽象化」も思考の練習。
頭のどこかに「抽象化の練習」と書いておくことにします。
じゃ、また明日!